介護

【老老介護】老親にイライラをぶつけて自己嫌悪【感情の押さえ方】

【老老介護】老親にイライラをぶつけて自己嫌悪【感情の押さえ方】
寝太郎
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長く続く介護の中でついつい年老いた母親に声をあらげてしまうことがよくあります。

素直に自分に従ってほしいのに、反抗したり言い訳したり勝手な行動をしたり。。。

そういう時は有無を言わさず叱ります。それでも反抗するから大声で怒鳴りつけてしまう。

老親に対することばとは思えない口調で怒鳴ってしまう。その勢いでめちゃめちゃにやり込めてしまう。

そうしないと自分のイライラが止まらない。おさまらない。

栄養のあるご飯を作ってあげたい。おいしいものを食べさせたい。きれいな花を飾ってあげたい。やさしくしてあげたい気持ちはあるのに。。。

実家に到着した時点ではそういうやさしい気分なのに、ちょっとしたきっかけでとても残酷な気持ちになってしまう。

のんスロくん
のんスロくん
ささいなことなんでしょ?
カピちゃん
カピちゃん
ささいなことでも抑えられないことはあるんだよね。

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感情を抑えられなくなる原因は?

テレビの音量を上げる

まず、テレビの音。

メーカーによって数字は違うでしょうが、日常18の音量で生活しているとすると、27~29くらいの大音量にしてしまう。

母は補聴器はつけていませんが、聞き取りにくいと感じるとリモコンですぐ音量をあげてしまいます。

大音量でも気にならないらしく、家中がものすごい騒音につつまれます。

いっしょにいるとこれはものすごく苦痛でストレスです。音を下げさせても5分後にはまた上げています。

物忘れのひどい母は5分前に言われたことも忘れます。

テレビの画面の下には「音量は23まで!」と書いて貼ってあります。でも都合のわるいものはあまり見ようとはしません。

何度も何度も何度も何度も。目を離すとすぐ大音量にします。

そのつど飛んできて音を下げさせる繰り返しです。

音というのは神経に障ります。そしてイライラはつのっていきます。

杖をつかない

母は4年前に父が亡くなり一人になってから歩くのが怪しくなってきました。

これまでに玄関で2度、外で1度転倒しています。

幸い骨折などはなく、眼鏡を割って目のまわりにあざをつくったり、手足にあざができる程度で済みました。

そういうこともあるので、外に出たら必ず杖をつくように言っています。

杖は2年ほど前から使いはじめていますが、あまり好きではないらしく見ていないと杖なしで外出してしまいます。

いま転倒したら確実に歩けなくなるような気がします。こちらにはすごく危機感があります。

転倒したらおしまいだよ!

と言っても本人にはその危機感はなく、ちょっとそこまでだから。。。と言い訳しながら杖ももたずに平気で出ていきます。

そんな自分勝手な母にイライラが募ります。本当に危ないのでついつい声は大きくなり、しつこく叱ります。

母は物忘れがすすみ判断力も落ちている部分がある一方、普通に生活できてる部分もあります。

わかっていて確信犯的にやっているのか、わすれちゃっているのかよくわかりません。

そんなしっかりしている所としてない所が「まだら状」の母に翻弄されます。

注意されたことは覚えているのだけど、そこまでだからと安易に自分でOKをだしてケロッとしている。

危険な行動であるだけに、それを守らない母にストレスがたまっていきます。

ショートステイの準備

半年くらい前から週のうち4日はショートステイで泊まりにいくようにしています。

それまではデイサービスで日帰りだったのですが、泊まりにいくということで毎週準備のことを異常なほど心配します。

月曜日の朝に出発して木曜日の夕方に戻って来るのですが、日曜日の昼間からそわそわし始めます。

心配になると「明日はおでかけ?1泊?え、3泊もするの?」という質問を10分おきにしたりします。

落ち着いたなと思うとこんどは自分で準備を始めます。でも、何を持っていくかはよくわかっていません。

思いつくままにカバンにつめて準備が終わります。でも30分もするとそれを忘れてまた別の荷造りを始めます。

いまのことは5分で忘れてしまうのでいくら早く準備しても無駄なのです。

自分でもすぐ忘れてしまうことは自覚しているので、いま準備しても無駄になるよ。。。と言いきかせています。

半年くらいたってだいぶ慣れてきたこともあり、最近では準備は月曜の出発1時間前まで待てるようになってきました。

でも、いま準備しても無駄になるから、月曜の朝食を食べたら準備するから心配しないで。。。を繰り返し言っていないといけません。

それでもちょっと目を離したすきにこっそり準備を始めていたりします。

準備は待つように言われたのは忘れたの?

と問いただすと、待つように言われたのは覚えているのです。

着替えはあるか、化粧品はあるか、パジャマはあるか、を自分の目で確認しないと心配だというのです。

勝手なことばかりして。。。私の我慢も限界になりつい大きな声を出してしまうことになります。

とんでもなく嫌な自分に自己嫌悪

年老いた母がやることだから大目にみてあげよう、となぜ思えないのか。

母自身も、ぼけた年寄りがばかなことをやっていると思って大目にみてほしい、と言います。

それを聞くと、自分で言うなよ!と思ってしまいよけいに火がつきます。

もっと言い方があるのはずなのです。でも、じっさいは「いいかげんにしろよ!」「ふざけるなよ!」とほぼ暴言です。

身近な人間だけに感情がむきだしになってしまいます。

いったんむき出しになるとそのあとはあとからあとからいやな言葉が飛び出します。

なぜ、もっとおだやかに言えないのだろう。

自分は実の母の面倒を姉とともにみているからいいけど、介護をするのが私の妻であったら、介護の対象が義理の母だったらどうでしょうか?

私のように暴言ははけず、親身になって介護をしていくしかないでしょう。そのストレスは計り知れないと思います。

母は母で怒られてばかりだから死にたくなる、とか、みんなに迷惑かけるからいないほうがいいのね、、、などとつぶやきます。

半分はボケていて、あと半分は正常な状態。やってはいけないと言っているのに確信犯的にやることにイライラが募ります。

89歳で一人で頑張っているのだからやさしくしてあげよう、そう思っているのに、イライラのなかで暴言がでてしまいます。

むしろその暴言が私のガス抜きになっているとも言えます。

もちろん、いじめのようにネチネチといじめているわけではありません。

でも、暴言を吐いてしまう自分に落ち込み、自宅にもどっても折にふれてふっと暗い気持ちがこころをよぎります。

感情をどうやって抑える?

感情むき出しになる前にどうやって感情をコントロールしたらいいか、いろいろと試してみました。

脳がこわれちゃってるんだからしょうがない

イライラするのは、母のためにやっているのにわがままをいうなよ!ということが基本にあるような気がします。

わかってるくせに、しれっと、してほしくないことをする。

だいぶボケてきているとはいえ、勝手なことをするときはわかっててやることが見てとれるためしゃくに障るのです。

5分前のこともわからなくなる時点で、すでにだいぶ脳がおとろえてきていることは確かです。

脳がこわれちゃってるんだから、しょうがない。

そう思うのが少しブレーキになる気がします。

完全にボケているよりはまし

でもそのうち完全にぼけてしまってわがままばかり言うようになったらどうなのでしょう。

ぼけてるのだからしょうがない。。。となるしかないような気もします。

怒ったりする意味もなくなります。

完全にぼけてしまって、下のこともできなくなり、垂れ流しになったりすることを考えればいまのわがままくらい我慢できるような気もします。

これも少し効果があるようです。

母からやさしくしてもらったことを思い出す

これは介護のイライラの解消法でも書いたことですが、優しくしてもらったことを思い出すのは高ぶる感情をぐっと引き戻すのには効果があります。

私の場合は、幼い頃に近所の同級生と石の投げ合いをして運悪く私の投げた石がその子の額に当たってしまったことがありました。

その子の額からは血が出て、泣いて帰ったその子を大人が取り囲んで大騒ぎになりました。

それを遠目にみながらうつむいて一人家に帰り、母親にその出来事を伝えました。

当然叱られるものと思っていたのに、その時は黙って大きな梨をまるごと剥いてくれて食べさせてくれました。

たぶん相当にしょぼくれて帰ってきたのでしょう。反省はしていると思ったのでしょうか。

時には厳しく叱られた母からそのような優しい扱いを受けたことはいまでも強く心に残っています。

私の場合はこのエピソードを思いだすことにしています。

アンガーコントロールで6秒ルールと言われるものがあります。

怒りは6秒でピークを迎えるので6秒がまんできれば怒りをやりすごすことができる、というものです。

これは脳内のアドレナリンの分泌が6秒でピークを迎えることに起因しているといわれます。

私はこの6秒をやさしい母の思い出でやりすごすようにしました。

それでも老老介護は続く

老老介護はまだまだ続きます。

母はいま89歳。なんとか90歳を元気でむかえさせてやりたいと思っています。

毎週母のもとを訪れながら、うまく感情を押さえたり、ちょっとだけ言ってしまったり、思いっきりぶつけてしまったり。。。

失敗や自己嫌悪は続いていますが、だいぶ要領がわかってきました。

この調子で姉と二人三脚でやっていこうと思っています。

(参考)その後わたしが優しくなれた理由

その後1か月ほどして、母が急に歩行困難になりました。

ショートステイに滞在中のことでしたので、きっかけがよくわかりませんが、元気に杖をついて出かけてのに、家に帰って来た時は車椅子でした。

左足がうまく動かないようで歩くのが非常に困難な状態となってしまいました。

その後、左手にも軽い麻痺があることがわかり脳梗塞ではないか!ということになりました。

検査の結果、軽い脳梗塞で入院をすることになりました。

もう、イライラしている場合ではなくなりました。

相変わらず物忘れもひどくこちらの気持ちもスムーズに伝わりませんが、そんな母を無条件に受け入れるようになりました。

もう、そんなこと言っている場合ではなくなったのです。

母をおもいやり全力でサポートする自分に戻っています。正直そういう自分が残っていたことが分かってほっとしました。

症状が改善してまた元気になって、母のわがままが目立ってきたら再びいやな自分に戻ってしまうかもしれませんが、すこし心の余裕ができたような気がします。

そして、今度はもうすこし自分の感情をコントロールできるような気がしています。







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「のんスロ年金!」管理人
完全リタイアしてすでに年金生活に入っている管理人が、「のんびりスローな年金ライフ」を発信します。
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